2008年11月22日
ユーベ墓と尚灝王
シマミグイのブログをご覧になってくださっている皆様、はじめましてm(_ _)m
シマミグイのゆるい男こと、T原です
いやいや顔出しが遅くなってすいません
他メンバーが順調にブログUPしてるので、一人焦り気味でした(笑)
僕の本ブログでのスタンスとしては、コラム的なちょっとユルめな記事を書いていこうかなと考えてます(^‐^)
前置きが長くなってしまいましたね
とにかく皆様よろしくおねがいします
それでは本題に。
僕はお墓を見に行くのが好きです。どこかにフィールドワークに入ると、まっさきにお墓を探しに行ってしまいますw
墓地で一人興奮しているヒゲ男・・・一般の方には中々理解されない嗜好ですが、好きなんです、お墓w
で、先日浦添市港川にある「ユーベ墓」というお墓を見に行きました。

携帯で撮影したので画質が・・・。これが正面の近景。とても立派なお墓です。

こちらが遠景。鬱蒼としてて、あやうく見落とすところでした。

石積みも残されています。
ユーベ墓は港川の陸運事務所近くの自動車工場駐車場敷地内にあります。ちょっと気づきづらいです。
このユーベ墓は俗に「坊主御主」と呼ばれた、第二尚氏17代目の尚灝王(しょうこうおう)の妻の墓だと言われているそうです。
妻のためにこんな立派な墓を建てた尚灝王・・・一体どんな王様だと思いますか?
結論から言うと、「奇人」です。
まぁコレには理由とエピソードがあるので、紹介します。
尚灝王は15代目の尚温王の弟にあたり、王位に継ぐ前は具志頭王子と称していました。先代の尚成王が若くして亡くなられたため、18才で即位されました。
しかし、当時の琉球は外国船がしきりに来航し、加えて度重なる干ばつや水害、飢饉などにより、国内情勢は疲弊しきっていました。
尚灝王はこの国内情勢の悪さからくる心労のあまり、病(一種の精神病と言われている)に臥したので、城間村(現在字港川)に御殿を造り隠棲しました。
病人でありながら、二夫人八妻をもち、子供も八男十七女と、とても子沢山でした。
八人の妻は地元の農民の女性で、ときに「品定め」のため、海辺に女性たちを集めて綱引きをさせたり
百姓姿に変装して集落内を徘徊したそうです。
そのため、城間村では女性は夜間外出するときは、
性別の見分けがつかないよう、お互い声を掛けないようにとの禁令が出され、長く習慣化したといいます。
また、尚灝王はチブル(ゆうがお)作りの名人で、那覇の市場で王のチブルが出回ると、他のチブルが売れなくなるほどの人気だったそうです。
尚灝王はその病からくるのか、非常に奇行が目立ち、
執務で決済伺いにきた三司官に刀を抜いて追い返してしまったり
自身も最後は小湾沖で遊覧中突然、大声をあげて海に飛び込み溺死してしまいました。
人物評価も、凶暴な振る舞いから恐れられたと思いきや、「仁徳ある王」とも言われ、二分されています。
(参考文献:「浦添市史 第三巻」「浦添市文化財悉皆調査報告書」)
どうですか?実に面白いエピソードじゃないですか?
正直に言うと、僕は王家については全然詳しくないです。
しかしこ、尚灝王の王様とは思えない人格が非常に魅力的で、大好きです。
凶暴で女好き、と思えばチブル作りの名人。
とても人間臭い!こんな王様がいたとはつい最近まで知りませんでした。
皆さんはこんな王様どう思われますか??
ちなみに、かつてユーベ墓の近くには尚灝王の御殿跡がありました。
現在は見る影もなくなってしまったのが非常に残念です
さぞかし立派な御殿だったのだろうなぁ。
あっ、言い忘れましたがユーベ墓は、浦添市字港川の沖電近くの自動車工場の駐車場敷地内にあります。
ちょっと見つけづらいとこにありますが、行ってみて下さーい(^o^)/
でわでわ
文責:T原
シマミグイのゆるい男こと、T原です

いやいや顔出しが遅くなってすいません

他メンバーが順調にブログUPしてるので、一人焦り気味でした(笑)
僕の本ブログでのスタンスとしては、コラム的なちょっとユルめな記事を書いていこうかなと考えてます(^‐^)
前置きが長くなってしまいましたね

とにかく皆様よろしくおねがいします

それでは本題に。
僕はお墓を見に行くのが好きです。どこかにフィールドワークに入ると、まっさきにお墓を探しに行ってしまいますw
墓地で一人興奮しているヒゲ男・・・一般の方には中々理解されない嗜好ですが、好きなんです、お墓w
で、先日浦添市港川にある「ユーベ墓」というお墓を見に行きました。
携帯で撮影したので画質が・・・。これが正面の近景。とても立派なお墓です。
こちらが遠景。鬱蒼としてて、あやうく見落とすところでした。
石積みも残されています。
ユーベ墓は港川の陸運事務所近くの自動車工場駐車場敷地内にあります。ちょっと気づきづらいです。
このユーベ墓は俗に「坊主御主」と呼ばれた、第二尚氏17代目の尚灝王(しょうこうおう)の妻の墓だと言われているそうです。
妻のためにこんな立派な墓を建てた尚灝王・・・一体どんな王様だと思いますか?
結論から言うと、「奇人」です。
まぁコレには理由とエピソードがあるので、紹介します。
尚灝王は15代目の尚温王の弟にあたり、王位に継ぐ前は具志頭王子と称していました。先代の尚成王が若くして亡くなられたため、18才で即位されました。
しかし、当時の琉球は外国船がしきりに来航し、加えて度重なる干ばつや水害、飢饉などにより、国内情勢は疲弊しきっていました。
尚灝王はこの国内情勢の悪さからくる心労のあまり、病(一種の精神病と言われている)に臥したので、城間村(現在字港川)に御殿を造り隠棲しました。
病人でありながら、二夫人八妻をもち、子供も八男十七女と、とても子沢山でした。
八人の妻は地元の農民の女性で、ときに「品定め」のため、海辺に女性たちを集めて綱引きをさせたり
百姓姿に変装して集落内を徘徊したそうです。
そのため、城間村では女性は夜間外出するときは、
性別の見分けがつかないよう、お互い声を掛けないようにとの禁令が出され、長く習慣化したといいます。
また、尚灝王はチブル(ゆうがお)作りの名人で、那覇の市場で王のチブルが出回ると、他のチブルが売れなくなるほどの人気だったそうです。
尚灝王はその病からくるのか、非常に奇行が目立ち、
執務で決済伺いにきた三司官に刀を抜いて追い返してしまったり
自身も最後は小湾沖で遊覧中突然、大声をあげて海に飛び込み溺死してしまいました。
人物評価も、凶暴な振る舞いから恐れられたと思いきや、「仁徳ある王」とも言われ、二分されています。
(参考文献:「浦添市史 第三巻」「浦添市文化財悉皆調査報告書」)
どうですか?実に面白いエピソードじゃないですか?
正直に言うと、僕は王家については全然詳しくないです。
しかしこ、尚灝王の王様とは思えない人格が非常に魅力的で、大好きです。
凶暴で女好き、と思えばチブル作りの名人。
とても人間臭い!こんな王様がいたとはつい最近まで知りませんでした。
皆さんはこんな王様どう思われますか??
ちなみに、かつてユーベ墓の近くには尚灝王の御殿跡がありました。
現在は見る影もなくなってしまったのが非常に残念です

さぞかし立派な御殿だったのだろうなぁ。
あっ、言い忘れましたがユーベ墓は、浦添市字港川の沖電近くの自動車工場の駐車場敷地内にあります。
ちょっと見つけづらいとこにありますが、行ってみて下さーい(^o^)/
でわでわ
文責:T原
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この記事へのコメント
尚灝王は辻に何人も彼女いたってよw
んで、そっちにも沢山隠し子いたらしい。
当初はそういう子たちは百姓と同じ扱いで
御殿に仕えていたらしいけど、
尚灝の長男の尚育が即位した際に、
数多くいる兄弟たちを
王子クラス、王女クラスに格上げしたらしい。
だけど、既に百姓の男に嫁いでいる娘もいて
結局はうやむやになったらしい。
それから、尚灝は庶民派だったらしい。
農業やるくらいだから、
庶民の暮らしはよくわかったはずな~。
そして、それを悪く思う王族関係者もいて、
船から転落したんじゃなくて、
暗殺されたって説もあるらしいぜ!
人から聞いた話で、どこまで本当か知らないけど。
尚灝ってほんとエピソード多いなwww
こりゃ、琉球版大河ドラマ「尚灝王」作らんとだな!
んで、そっちにも沢山隠し子いたらしい。
当初はそういう子たちは百姓と同じ扱いで
御殿に仕えていたらしいけど、
尚灝の長男の尚育が即位した際に、
数多くいる兄弟たちを
王子クラス、王女クラスに格上げしたらしい。
だけど、既に百姓の男に嫁いでいる娘もいて
結局はうやむやになったらしい。
それから、尚灝は庶民派だったらしい。
農業やるくらいだから、
庶民の暮らしはよくわかったはずな~。
そして、それを悪く思う王族関係者もいて、
船から転落したんじゃなくて、
暗殺されたって説もあるらしいぜ!
人から聞いた話で、どこまで本当か知らないけど。
尚灝ってほんとエピソード多いなwww
こりゃ、琉球版大河ドラマ「尚灝王」作らんとだな!
Posted by saku at 2008年12月02日 01:19





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