命どぅ宝
命どぅ宝(ぬちどぅたから)
この季節はこの言葉を良く聞きますよね。
今日は慰霊の日。
慰霊の日関連で沖縄戦に関することを書いたブログも多いでしょうが、
ここはひとつ、趣を変えて「命どぅ宝」という言葉の元ネタについて書きたいと思います。
さて、この「命どぅ宝」ですが、読んで字のごとく、「命こそ宝」という意味です。
「生きてこそ」という意味ですね。
先日、大先輩であるS氏より、その出典についてお話を聞きました。
(正直、その話を聞くまでは「命どぅ宝」の出典なんて考えたことなかったんですが)
この言葉の元ネタは一般的に、
尚寧王が琉歌で
「戦さ世んしまち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」と詠んだとか
(でもぶっちゃけ、その当時に八・八・八・六の琉歌が成立していたか不明らしい)
尚泰王が琉歌で
「戦さ世んしまち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」と詠んだとされており、
(でも、実はこの琉歌は後世に作られた戯曲が元ネタらしい)
ウィキペディアには
尚泰王の遺した琉歌がその由来とされこともあるが、
本来は戦争について訴える演劇中のセリフである。
と載っており、
琉球新報社の『沖縄コンパクト事典』には
出典は琉歌の「戦さ世んしまち みるく世ややがて 嘆くなよ臣下 命どぅ宝」
と載っています。
以上のように、由来には諸説あって意見が定まっていません・・・
ちなみに、沖縄サミットの時にクリントンは演説の中で
「命どぅ宝」を引用し、尚泰王が詠んだものとしたそうです(笑)
さて、S氏によると、「命どぅ宝」という言葉は
組踊の「屋慶名大主敵討」の台詞に出てくるとのこと。
県が出している『沖縄県史料 前近代8 芸能1 (組踊)』でも確認できます。
S氏はこの県史料を編集した方から教えてもらったと言ってました。
はっきりと元ネタと断言できるわけではないですが、
近世の組踊の中に「命どぅ宝」という台詞が確認できるので、
少なくとも近世までは遡れるということです。
ということは、上で挙げた尚泰王が出典である、
戦後の演劇が出典である、というのは違ってきますね。
また、史実として尚泰王が詠んだという話がまかり通っていることは、
ちょっとまずいかな~と感じました。
尚寧王が詠んだ、という話は「戦→島津侵攻→尚寧王」という連想ゲームでしょうね。
マスメディアが創作と史実とを区別できてない傾向があるんで、
しょうがないかなぁとも思いますが・・・。
話は意味くじわからんところに流れてしまいました。すいません
ではでは、今日も平和な一日に感謝して・・・。
文責:saku
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