2012年04月25日
東京ひとりブラタモリ
お久しぶりです。sakuです。
ちゃんと生きてます。
他の記事にもあったように
東京でのシンポジウムへ参加してきました。
慣れないシンポの参加に加え
東京という地での発表にとても緊張しましたが
無事に終えることができました。
応援していただいた皆さまや支えてくださった皆さまには
篤く感謝の意を表します。
さてさて、東京へ行ったついでに
ひとりブラタモリしてきました。
その様子を少しご紹介したいと思います。

まずこちら。
港区芝にあった薩摩屋敷跡です。
NEC本社ビルの一角に石碑が建てられています。
実は、近世期に江戸立で江戸へやってきた琉球使節がここ屋敷をたびたび訪れています。
江戸立のメンバーの記録(家譜)にも「芝御屋敷」と出てきます。
現在では屋敷の面影は全くなくなってしまいましたが、
自分の立つ地にかつて琉球使節が訪れたのかぁと想像するとロマンを感じますね!
それからこちら

どーん
徳川家の菩提寺、増上寺です。
感想は・・・でっかい!(笑
後ろは東京タワー。
ちょうど、法然上人八百年御忌をしていて貴重なものを見れたし、
さらに徳川家霊廟も公開中でラッキーでした。
続いては近代シリーズ

東京都選定歴史的建造物・三越本店。
1935年竣工。
まだまだっ!

国指定重要文化財・日本銀行本店。
1896年竣工。
そしてこれ!

国指定重要文化財・日本橋。
1911年架橋(第19代目)
戦前の建造物がこんな風に残っていて、しかも現役というのは
沖縄に住む身としては、ある意味カルチャーショックです。
近代建築が多く残る地域を歩くと、
まるで近代日本へタイムスリップしたかのような気がしました。
何十年もわたってここに建ち、人びとの生活や社会の変化を見守った建物。
直にその壁面などに触れると、なんだか、間接的に各時代を生きた人びとと
触れ合っているかのような気がしました。
発掘で出土する遺物や、残された美術工芸品などのほとんどは
現行では使われず、「過去のもの」として保存されていますが、
このような近代建築は、未だに現役というのがまたスゴイと思います。
と、まぁこんな感じでひとりブラタモリしてきました。
本当はもっといろいろマニアックな視点で街歩き(旧海岸線探したり、
繁華街の境目探したり、あやしい店探したり)してきたのですが、
記事が長くなるのでこの辺で。
おまけ

JR大森駅ホームにあった「日本考古学発祥の地」記念碑。
なぜ駅前じゃなくてホームのなかに!?

歌舞伎町と言えばこれ。
門が地域のシンボルとなるのはいつの時代も同じようです。
文責:saku
ちゃんと生きてます。
他の記事にもあったように
東京でのシンポジウムへ参加してきました。
慣れないシンポの参加に加え
東京という地での発表にとても緊張しましたが
無事に終えることができました。
応援していただいた皆さまや支えてくださった皆さまには
篤く感謝の意を表します。
さてさて、東京へ行ったついでに
ひとりブラタモリしてきました。
その様子を少しご紹介したいと思います。
まずこちら。
港区芝にあった薩摩屋敷跡です。
NEC本社ビルの一角に石碑が建てられています。
実は、近世期に江戸立で江戸へやってきた琉球使節がここ屋敷をたびたび訪れています。
江戸立のメンバーの記録(家譜)にも「芝御屋敷」と出てきます。
現在では屋敷の面影は全くなくなってしまいましたが、
自分の立つ地にかつて琉球使節が訪れたのかぁと想像するとロマンを感じますね!
それからこちら
どーん
徳川家の菩提寺、増上寺です。
感想は・・・でっかい!(笑
後ろは東京タワー。
ちょうど、法然上人八百年御忌をしていて貴重なものを見れたし、
さらに徳川家霊廟も公開中でラッキーでした。
続いては近代シリーズ
東京都選定歴史的建造物・三越本店。
1935年竣工。
まだまだっ!
国指定重要文化財・日本銀行本店。
1896年竣工。
そしてこれ!
国指定重要文化財・日本橋。
1911年架橋(第19代目)
戦前の建造物がこんな風に残っていて、しかも現役というのは
沖縄に住む身としては、ある意味カルチャーショックです。
近代建築が多く残る地域を歩くと、
まるで近代日本へタイムスリップしたかのような気がしました。
何十年もわたってここに建ち、人びとの生活や社会の変化を見守った建物。
直にその壁面などに触れると、なんだか、間接的に各時代を生きた人びとと
触れ合っているかのような気がしました。
発掘で出土する遺物や、残された美術工芸品などのほとんどは
現行では使われず、「過去のもの」として保存されていますが、
このような近代建築は、未だに現役というのがまたスゴイと思います。
と、まぁこんな感じでひとりブラタモリしてきました。
本当はもっといろいろマニアックな視点で街歩き(旧海岸線探したり、
繁華街の境目探したり、あやしい店探したり)してきたのですが、
記事が長くなるのでこの辺で。
おまけ
JR大森駅ホームにあった「日本考古学発祥の地」記念碑。
なぜ駅前じゃなくてホームのなかに!?
歌舞伎町と言えばこれ。
門が地域のシンボルとなるのはいつの時代も同じようです。
文責:saku
2012年04月03日
東京から帰ってきました☆

写真は早稲田大学の桜です♪綺麗でした。
「これまでの沖縄学、これからの沖縄学」でのパネル発表、
無事に終わって帰ってきましたー!
支えてくださった皆さん、本当にありがとうございました!
半年間、準備してきた甲斐がありました。
シンポジウムって何だろうね?、からスタートした私たちの取り組み。
わかったことは、
未熟者の私たちは当日までの時間をどれだけ共有できるかが勝負所だ、
ということです。
仕事を終えてからのミーティング。
意思疎通がうまくいかなくて、苛立ちながらも伝え続ける努力。
出口の見えない議論を粘り強く続けることで掴む一筋の光。
「これくらいでいいだろう」って妥協しないで、
努力することでしか辿り着けない場所に、
みんなで力を合わせて辿りつけたことが一番の成果です。
発表した私たちが一番得るものが多かった挑戦となりました。
素晴らしいチャンスをくださったシンポジウム実行委員の皆様、
拙い発表を聞きに来てくださった皆様、
「よかったよ」と暖かい言葉をくださった皆様に深く感謝致します。
そして宜野湾愛知のミスドと具志川市史とレジュメコピーに走ってくれた友人にありがとうです!!
ありがとー!!!(≧▽≦)ゞ
いろいろ思うところもありましたが、私たちは地道に続けていこうと思います☆
応援ありがとうございました!
文責:aki
2012年03月15日
「これまでの沖縄学、これからの沖縄学」

今日は告知でーす☆
シマミグイメンバーで国際シンポに挑戦します!
今月末に東京で行われる、「これまでの沖縄学、これからの沖縄学」というシンポです。
復帰40年沖縄国際シンポジウム
「これまでの沖縄学、これからの沖縄学」
International Symposium ‘Remembering 40 Years Since Reversion’ :
“Okinawan Studies Until Now, Okinawan Studies From Now On”
March 29 - 31, 2012; International Conference Centerm & Ono Memorial Hall, Waseda University
日時:2012 年3 月29 日(木) 、30 日(金) 、31 日(土)
開催内容:パネルディスカッション、組踊公演、沖縄芸能ワークショップ
会場:早稲田大学 国際会議場・小野梓記念講堂
大会ホームページ http://okinawasympo.wordpress.com/news/
スケジュールはこちらでご確認ください!
メンバーみんな、去年の夏から緊張しまくりですが、
せっかく頂けたチャンスなので一生懸命がんばりたいと思います。
私たちの発表は30日(金)第2セッション(13:30-15:30)、
早稲田大学 国際会議場第三会場でやります!
で、私たちがどんなことを発表するかと言いますと・・・、こんな感じです☆
以下、発表の要旨になります♪
【タイトル】
人の記憶・土地の記憶―生活の場を見つめて―
Memories of People, Memories of Land:Looking at Living spaces
【発表要旨】
私たちの報告は一見すると時代も研究方法も関連するようには見えないかもしれない。しかし、私たちの研究の根底にあるのは、「この土地に生きる人々はどのようにして生きてきたのか」という素朴な疑問と、「生活の場」にこだわるという視点である。
では、私たち4人の研究の概要を以下に提示したい。
報告者①:喜納大作
「古地図に見る首里士族の住居移動―移った者・残った者-」
(Looking at residential mobility of SAMURE in Shuri using old maps : people that moved and people that stayed.)
18世紀の首里を描いた「首里古地図」がある。王府の主要施設から個人の屋敷まで詳細に記され、現代でいう住宅地図のような様相である。歴史研究における首里古地図の用いられ方は、特定施設の場所を地図上ではここに確認できると、傍証資料として用いられることが多い。しかし、本研究では首里古地図自体を研究の対象とし、古地図を空間的に捉えることで、どのような空間で当時の出来事が起こり、人々が生活したのか、という当時の首里の社会状況や当時の人々の生活感覚を知ることを目指した。
報告者②:山城彰子
「家譜資料にみる近世琉球における士の婚姻・出産・離別-女性に焦点をあてて-」
(Marriage, Birth and the Separation of the SAMURE class in early-modern ryukyuan genealogies, with a focus on women.)
琉球・沖縄の女性の特徴として霊的優位性をあげている研究が多く、その認識に留まるがゆえに琉球・沖縄の女性のさまざまな状況についての研究が不十分であると考える。私の研究は「士族社会」に「置かれる」女性のライフコースを描き出すために、家譜資料をもとに婚姻・出産・離別について統計的データから客観的に述べていくことが第一の目的である。そして、家譜に記述される女性の断片的な情報をもとに、<家>という場面を軸にして、正室だけでなく、周縁に「置かれる」女性(妾や旅妻など)の存在を掘り起こしていくことを念頭に置き、琉球の女性たちがどのように生きたのか明らかにすることを試みている。
報告者③:赤嶺玲子
「『赤の村』から『県一の翼賛村』へ―戦時総動員体制の形成過程」
(The process of the wartime public mobilization system: a case study of Ogimi village.)
戦時を生きる人々を通して沖縄戦を捉え返す事が本研究のテーマである。沖縄県の北部に位置する大宜味村を研究対象地域とし、村の戦時動員体制の形成過程を明らかにすることを課題とした。大宜味村では1931年に大宜味村政革新運動という青年層を中心とした青年運動が勃発する。この運動によって大宜味村は「赤の村」(=共産主義者の村)としてレッテルをはられるが、1930年代の後半には一転して「県一の翼賛村」として称揚される。大宜味村がたどった「赤の村」から「県一の翼賛村」への転換過程を村の青年層に焦点をあて検討した。この転換過程を通して「なぜ人々が沖縄戦へと至ったのか」という問いを解明することが本研究の大テーマとなる。村に生きる人々が戦時から沖縄戦を生きる過程で抱えた矛盾や葛藤を大切にした。
報告者④:金城良三
「基地に消えたムラの記憶―地名と空中写真による景観復元」
(The memory of the (american) bases – Scenic recovery through aerialphotographs and place names.)
沖縄では、沖縄戦・基地化・都市化で土地やコミュニティーを失ったムラが存在する。戦後70年近くが経過し、その地域の記憶を持つ人々も減り、往時のムラの記憶が失われつつある。それらの地域の歴史を記録するため、戦時中に米軍が撮影した空中写真と、地名収集を通した戦前の生活誌を調査している。空中写真を利用することで、聴き取り調査の精度が向上し、さらに既存の集落地図から洩れた家屋を空中写真から発見するなどの効果が得られた。また、地名は“土地の記憶”であり、生活の知識が内包されている。その地名を収集し、空中写真に視覚的に記録することで、ムラの景観や暮らしの情報を空間的に表現した。本研究は、消えつつあるムラの記憶を記録し、その土地に人が“生きた証”を継承することを目的とする。
以上が私たち4人の研究概要であるが、「首里古地図」からは近世の人々の生活の場に、「空中写真と聴き取り」からは近代の村に生きる人々の生活の場に迫る。また、「家譜資料」からは近世の<家>という生活の場における女性、「青年の回顧録」からは戦時体制下の生活の場における民衆についてその一端を提示したい。
私たちの研究に通底している目的は、資料(語りを含む)を用いて、「生活の場」から当時の人々の「生活」を捉え、「復元」することである。
また、日常のエピソードを一つ一つ丁寧に拾い上げる私たちの研究が、「生活の場」を浮かび上がらせる研究方法の一つであることを示したい。さらに私たちが大事にしていることは、「人々に寄り添う」という点である。過去を生きた人々について考える研究を通して、先祖の記録を探す人々、基地に消えた村の記録を待ち望む人々、沖縄戦体験者たち、祖先祭祀に悩む女性たちなど、現在、(私たちも含む)この土地で生きる人々に寄り添い、研究を続けることが、私たちが目指す「沖縄学」だと考える。
セッションでは、個別報告のテーマが、それぞれのテーマとどのように関連していくのか、そしてその結果、どのように認識が深められていくのかという点を具体的に示し、時代がどのように変化しても、その中で人々は多様に生きていたのだということについて考えたい。
以上
ものすごく素朴で、未熟な私たちなんですが、
今、この土地に生きて、考えている私たちの精一杯で挑んできます。
見かけた方は、「当たって砕けろ!」と声をかけて頂けると、私たち、非常に奮起します。
沖縄に関する勉強を始めて、10年目の今年。
同じ志を持つ仲間と挑めることに心から感謝して、
新しい出会いと議論を楽しんでこようと思います。
文責:aki
2012年02月11日
越来グスク 現場説明会 2011
お久しぶりです。Takaです。
なんとか、書ける時間を作る余裕ができたので、復活しました。
今回は先日いった越来グスクの現場説明会のレポートをば・・・
2012(平成24)年1月22日、日曜日に越来グスクの現場説明会がありましたので、時間を作っていってきました。


見ての通り、ピット(柱穴)が多く出てきていますね。
現場では、2基のプラン(建物跡の形)が想定されていました。
遺物は、新聞報道では、加工途中の勾玉が出土したとのことです。
現地では加工途中の勾玉のほか、ガラス玉、中国産の陶磁器(青磁や白磁の碗、陶製の壺など)、グスク土器、石器・石製品、動物骨などが展示されていました。
なお、今月の 日から沖縄市立郷土博物館で越来グスクの発掘速報展が開催されるようです。
こちらの展示も気になるところです。
文責:Taka
なんとか、書ける時間を作る余裕ができたので、復活しました。
今回は先日いった越来グスクの現場説明会のレポートをば・・・
2012(平成24)年1月22日、日曜日に越来グスクの現場説明会がありましたので、時間を作っていってきました。
見ての通り、ピット(柱穴)が多く出てきていますね。
現場では、2基のプラン(建物跡の形)が想定されていました。
遺物は、新聞報道では、加工途中の勾玉が出土したとのことです。
現地では加工途中の勾玉のほか、ガラス玉、中国産の陶磁器(青磁や白磁の碗、陶製の壺など)、グスク土器、石器・石製品、動物骨などが展示されていました。
なお、今月の 日から沖縄市立郷土博物館で越来グスクの発掘速報展が開催されるようです。
こちらの展示も気になるところです。
文責:Taka
2012年01月26日
嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆
旧正月あけましておめでとうございます!
更新も全然せずすみません・・・。
近いうちに「ブログ書いて!」とメンバーを叱咤激励しようと思います。
さて、野暮用にて石川まで行く機会がありましたので、
この機会に石川の文化財を見に行こう!と思い立って地図を開き、
嘉手苅のバス停の前にある「嘉手苅観音堂」という表記に惹かれ、
「道沿いだしこれなら迷わないだろう」と目的地を定め、
職場の先輩と行ってきました♪嘉手苅観音堂☆
ジャン!

きれいなお堂です。説明板によると、
現在の和歌山県から来た日秀上人というお坊さんが伊波按司に勧めて建立されたと伝わっているそうです。
火災が原因で今の場所に移転したと書かれていました。
お堂の後ろにも何かありそうだわと感じ、ぐるっとまわってみると拝所を見つけました。
それがこちら

香炉が3箇所に置かれていて、その中の一つには地頭火ヌ神と側に書かれていました。
続いて、伊波ヌール墓を捜しに行きました。
しかし場所が曖昧で、よくわからなかったので、

あのこんもりとした場所が怪しいなあと思い、接近を試みます。
さとうきびの間を抜けていくと・・・、そこには・・・。

井(カー)がありました。
むむむ、当ては外れましたが、これも何かの縁だと思い、
伊波ヌール墓を次回のお楽しみにとっっておいて、石川から帰りました。
そして、『石川市史』(伊波信光、昭和63年発行)で事後学習。
『石川市史』の618-624ページに嘉手苅観音堂の細かい記述があります。
だそうです!
そして、伊波ヌール墓を探しているときにたどり着いた井は、
『石川市史』によると「嘉手苅御拝領井(嘉手苅井)」(624ページ)でした。
へぇ~面白いな~
井も御拝領ってあるのかぁと思いました。
他にもこういう伝承が残っている井はあるんですかねぇ~???
そんなこんなな石川散策☆
伊波ヌール墓はまた次回にトライしようと思います!
文責:aki 続きを読む
更新も全然せずすみません・・・。
近いうちに「ブログ書いて!」とメンバーを叱咤激励しようと思います。
さて、野暮用にて石川まで行く機会がありましたので、
この機会に石川の文化財を見に行こう!と思い立って地図を開き、
嘉手苅のバス停の前にある「嘉手苅観音堂」という表記に惹かれ、
「道沿いだしこれなら迷わないだろう」と目的地を定め、
職場の先輩と行ってきました♪嘉手苅観音堂☆
ジャン!
きれいなお堂です。説明板によると、
現在の和歌山県から来た日秀上人というお坊さんが伊波按司に勧めて建立されたと伝わっているそうです。
火災が原因で今の場所に移転したと書かれていました。
お堂の後ろにも何かありそうだわと感じ、ぐるっとまわってみると拝所を見つけました。
それがこちら

香炉が3箇所に置かれていて、その中の一つには地頭火ヌ神と側に書かれていました。
続いて、伊波ヌール墓を捜しに行きました。
しかし場所が曖昧で、よくわからなかったので、
あのこんもりとした場所が怪しいなあと思い、接近を試みます。
さとうきびの間を抜けていくと・・・、そこには・・・。
井(カー)がありました。
むむむ、当ては外れましたが、これも何かの縁だと思い、
伊波ヌール墓を次回のお楽しみにとっっておいて、石川から帰りました。
そして、『石川市史』(伊波信光、昭和63年発行)で事後学習。
『石川市史』の618-624ページに嘉手苅観音堂の細かい記述があります。
・「現在のように拝殿が石積みの上に作られたのは大正8年」(622ページ)
・「戦前の観音堂は直接戦禍は受けなかったが、戦争中石川に集まっていた避難民の薪炭材料にするため取り壊されていたのを1949年2月再建したものである。」(同上)
・「御嶽と観音堂関係については、あまりはっきりしていないのが実情である。」(624ページ)
だそうです!
そして、伊波ヌール墓を探しているときにたどり着いた井は、
『石川市史』によると「嘉手苅御拝領井(嘉手苅井)」(624ページ)でした。
この井泉は屋号西山田の祖父が王様から賜った井であると言われている。この人は廃藩置県前まで王府勤め(役職不明)をしていたが、明治12年廃藩置県で役職を解かれ家に帰された時、水に困っていることを聞かれた王が特別の思し召しで造らせた井泉であるとのことである。さればこの井泉の築造の時はわざわざ首里から多くの専門石大工が来て造ったとのことである。(同上)
へぇ~面白いな~
井も御拝領ってあるのかぁと思いました。他にもこういう伝承が残っている井はあるんですかねぇ~???
そんなこんなな石川散策☆
伊波ヌール墓はまた次回にトライしようと思います!
文責:aki 続きを読む
2011年10月30日
渡名喜島に行ってきました☆
渡名喜島は那覇からフェリーで2時間15分です☆
船から渡名喜島を見るとこんな感じです↓

断崖絶壁で驚きました(;゜д゜)
浜がない!港がない!と焦っってたらぐるーっと回って集落が見えてきて一安心♪
渡名喜村は家をフクギで囲っていて、とても雰囲気がある集落です。

竹富島と同じく、景観保存に指定されているそうですよ。
里遺跡に続く道半ばから集落を見遣るとフクギの中に家が見えます。

渡名喜村は谷間にある集落で風の通り道になっており、
今はほとんど赤瓦なんですが、茅葺き時代には強風で屋根が飛ばされないために、
家をフクギで囲い、さりに敷地を掘り込んで、
屋根の高さが屋敷林のフクギより低くなるようにしたそうです。
だから道より家が低いんです!
1番深く掘り込んだ家は道よりも1m50cm低いそうです。
そして私が何よりも驚いたのは集落全体が掃除が行き届いている点です。
道々にはこんな風にほうきが置かれていて、朝に掃除をしていました。

散歩するだけでとても気持ちがいい集落だと思います。
そして渡名喜のビーチ、あがり浜です♪

綺麗ですね☆
渡名喜島の方に、「どこから来たの〜??いつ帰るの〜??」と聞かれ、
「那覇からです。もう今日帰るんですよ。」と答えると、
「そう、お元気でね〜」と声をかけられました。
「気をつけて」よりも好きかもしれない、と密かに感動したので、
私もまれびとと出会った時は次からそう声をかけようと思いました☆
漁業の話や、地割の話や、シマノーシの話などいろいろ書きたいことはあるのですが、
上手くかけなかったので皆さん是非とも『渡名喜村史』を手にとってください!!
宿などを手配してくださった方々、案内をしてくださった方々に感謝感謝のすごく勉強になった渡名喜島でした☆ 続きを読む
船から渡名喜島を見るとこんな感じです↓

断崖絶壁で驚きました(;゜д゜)
浜がない!港がない!と焦っってたらぐるーっと回って集落が見えてきて一安心♪
渡名喜村は家をフクギで囲っていて、とても雰囲気がある集落です。

竹富島と同じく、景観保存に指定されているそうですよ。
里遺跡に続く道半ばから集落を見遣るとフクギの中に家が見えます。

渡名喜村は谷間にある集落で風の通り道になっており、
今はほとんど赤瓦なんですが、茅葺き時代には強風で屋根が飛ばされないために、
家をフクギで囲い、さりに敷地を掘り込んで、
屋根の高さが屋敷林のフクギより低くなるようにしたそうです。
だから道より家が低いんです!
1番深く掘り込んだ家は道よりも1m50cm低いそうです。
そして私が何よりも驚いたのは集落全体が掃除が行き届いている点です。
道々にはこんな風にほうきが置かれていて、朝に掃除をしていました。

散歩するだけでとても気持ちがいい集落だと思います。
そして渡名喜のビーチ、あがり浜です♪

綺麗ですね☆
渡名喜島の方に、「どこから来たの〜??いつ帰るの〜??」と聞かれ、
「那覇からです。もう今日帰るんですよ。」と答えると、
「そう、お元気でね〜」と声をかけられました。
「気をつけて」よりも好きかもしれない、と密かに感動したので、
私もまれびとと出会った時は次からそう声をかけようと思いました☆
漁業の話や、地割の話や、シマノーシの話などいろいろ書きたいことはあるのですが、
上手くかけなかったので皆さん是非とも『渡名喜村史』を手にとってください!!
宿などを手配してくださった方々、案内をしてくださった方々に感謝感謝のすごく勉強になった渡名喜島でした☆ 続きを読む
2011年09月12日
今日は十五夜です。
はぁ~ビアフェスタも終わった…
夏も終わりか…
なんて思ってたら、獅子舞フェスタが今からあるじゃないか!!!
まだ夏は終わっちゃいない!と急に元気になりました、ユウです。
本日は十五夜。
私の地元でも、行事があったのでご紹介します♪
ちなみに、前回レポしたシーサーウークイに似たものですが、
まったく違う物なので、「前みたしー」とか思わないでご覧くださいねww
***
今日も早朝から字内放送が。
「本日ぅ、午後4時よりぃ、十五夜の行事を行いまぁーす」
とのこと。
急いで仕事終わらせても間に合わないかー
と思いながらかえってきました。が!
はい、やっぱり遅れてました。5時スタート。余裕で間に合いました。
さてさて道ジュネーがやってきましたよ。前回と同様、字の四隅をまわって、「御宮」と呼ばれる字の拝所をまわるコースです。


今回は旗頭も登場。「豊年」を願います。
そしてこの方も


ミルク(弥勒)です。


扇をゆっさゆっさ、ゆったりテンポよく躍っています。
そして

シーサーです。

グイーーンと伸びてます。
今回もちっちゃい子を泣かせてました。。



ちょっと寄り道

このひょっとこは、初めてみます。何だろう??
新キャラの登場です。


ようやく御宮に到着です。

ウートートー。
奉納の踊りと棒術が行われます。

ミルクと一緒に低学年の子が躍ります。

中学年の子たち。

高学年の子たち。年齢を重ねるにつれて、みんな恥じかさ~してます。
思春期ですねww羨ましいです。
お次は棒術。



勇ましいです。
最後は


シーサーで締めくくり。

ミルクがほほ笑みながら見守ってます。
ふぉっふぉっふぉっ って声が聞こえてきそうです。
最後はシーサーウークイと同様、もう1つの拝所をめぐります。
夜は公民館で舞台があります。私はちょっと不参加です。。
子供たちの踊りは私も小学生の時躍っていました。
チュウチュウ目当てに、一生懸命練習したのを思い出します。
しかし、子供の数が減ったものだ…ちょっと切なくなりました。
行事を受け継ぐ者が年々少なくなっていくのは悲しいです。
だけど、心強い先輩たちも沢山います。

私の祖母。御歳82歳です。
「だぁ、シーサーきたねぇ?」
と、せかせか家から出てきました。老人会で、夜の部の舞台に出るそうです。
普段はしないお化粧も今日はバッチリ。気合い入っている祖母をみるのは久しぶりです。
受け継ぐ者がいれば、伝える者がいる。
私の祖母のように、幼いころから、この行事に関わってきたもの、
車いすで子供たちの踊りを楽しそうにみるおばあちゃん、
棒術をする青年たち
一生懸命躍る子供たち
シーサーに頭を噛まれた赤ちゃん
それを慰めるお母さん
「十五夜」という空間の中では
伝える者から受け継ぐものへのバトンタッチが行われているように感じました。
私はその中で、受け継ぐ者の位置にいる。
きちんとバトンタッチできるように、頑張ります。
夏も終わりか…
なんて思ってたら、獅子舞フェスタが今からあるじゃないか!!!
まだ夏は終わっちゃいない!と急に元気になりました、ユウです。
本日は十五夜。
私の地元でも、行事があったのでご紹介します♪
ちなみに、前回レポしたシーサーウークイに似たものですが、
まったく違う物なので、「前みたしー」とか思わないでご覧くださいねww
***
今日も早朝から字内放送が。
「本日ぅ、午後4時よりぃ、十五夜の行事を行いまぁーす」
とのこと。
急いで仕事終わらせても間に合わないかー
と思いながらかえってきました。が!
はい、やっぱり遅れてました。5時スタート。余裕で間に合いました。
さてさて道ジュネーがやってきましたよ。前回と同様、字の四隅をまわって、「御宮」と呼ばれる字の拝所をまわるコースです。
今回は旗頭も登場。「豊年」を願います。
そしてこの方も
ミルク(弥勒)です。
扇をゆっさゆっさ、ゆったりテンポよく躍っています。
そして
シーサーです。
グイーーンと伸びてます。
今回もちっちゃい子を泣かせてました。。
ちょっと寄り道
このひょっとこは、初めてみます。何だろう??
新キャラの登場です。
ようやく御宮に到着です。
ウートートー。
奉納の踊りと棒術が行われます。
ミルクと一緒に低学年の子が躍ります。
中学年の子たち。
高学年の子たち。年齢を重ねるにつれて、みんな恥じかさ~してます。
思春期ですねww羨ましいです。
お次は棒術。
勇ましいです。
最後は
シーサーで締めくくり。
ミルクがほほ笑みながら見守ってます。
ふぉっふぉっふぉっ って声が聞こえてきそうです。
最後はシーサーウークイと同様、もう1つの拝所をめぐります。
夜は公民館で舞台があります。私はちょっと不参加です。。
子供たちの踊りは私も小学生の時躍っていました。
チュウチュウ目当てに、一生懸命練習したのを思い出します。
しかし、子供の数が減ったものだ…ちょっと切なくなりました。
行事を受け継ぐ者が年々少なくなっていくのは悲しいです。
だけど、心強い先輩たちも沢山います。
私の祖母。御歳82歳です。
「だぁ、シーサーきたねぇ?」
と、せかせか家から出てきました。老人会で、夜の部の舞台に出るそうです。
普段はしないお化粧も今日はバッチリ。気合い入っている祖母をみるのは久しぶりです。
受け継ぐ者がいれば、伝える者がいる。
私の祖母のように、幼いころから、この行事に関わってきたもの、
車いすで子供たちの踊りを楽しそうにみるおばあちゃん、
棒術をする青年たち
一生懸命躍る子供たち
シーサーに頭を噛まれた赤ちゃん
それを慰めるお母さん
「十五夜」という空間の中では
伝える者から受け継ぐものへのバトンタッチが行われているように感じました。
私はその中で、受け継ぐ者の位置にいる。
きちんとバトンタッチできるように、頑張ります。
2011年08月15日
お盆をしめくくる、シーサーウークイレポート
久しぶりに登場します!
来週の全島エイサーという名のビアフェスタに心躍らずにはいられないユウです。
今回は獲れたてほやほやのレポートをお送りします♪
つい先日までお盆でしたね~
ご先祖様を
ウンケー(お迎え)してウークイ(お送り)して、
3日間、怒涛の日々を過ごした方もいらっしゃると思います。
しかし!
わたしの地元ではお盆は3日間ではありません。
実質、4日間あるといってもよい。。。
それは、シーサーウークイがあるためです!
今回は、本日8月15日に行われた地元のシーサーウークイについてレポします
このシーサーウークイ
なぜ行われるかを、わたしのおばあちゃんに聞いてみたところ、
ウークイが終わってもあの世に帰れなかった者達を送り返すためにするのだと言ってました。
ではでは、内容に入りますね~♪
今朝、部落内の放送で、
「本日午後4時30分よりシーサーウークイを行います」
との連絡が。
それに間に合わせ、仕事を終えてきたにも関わらず、
開始は5時過ぎ!!ww
暑いし、仕方ない!!と思いながら、道に出てシーサーを待ちます。
シーサーは部落の4か所、部落と隣の部落の境目ごとに立ち止まってなにやら、
霊を追い払うような動作をします。
わたしの家の近くに来るのは、その3番目くらい。
暑さに耐えつつ、待っていると…

来た!

来た!!
シーサーさんの登場です。
部落内を廻り、次は拝所を廻ります。
その途中で、シーサーさんは突然走りだす時があります。

こっちではちっちゃい子を泣かせ

あっちでは小学生を威嚇!!
ちっちゃい時はこれが怖くもあり、スリル満点の遊びでもありました
そんなこんなで、部落内にある拝所に到着

シーサーさんともどもウートートーします。
その後は棒術が奉納されます。

おじさま方のドラのリズムに合わせて

中学生は初々しく

青年会は勇ましく演武します。
そしてそれを観るシーサーさん

みんな仲良しです。
続いて拝所2か所めへ移動

ここでもみんなとウートートーです。
そしてシーサーさんは公民館へ帰って行くのでした。
でもちょっとだけ寄り道

太鼓のリズムに合わせて躍る姿は可愛らしいです
気づけば
周りの人は皆笑顔。
そんな行事を今後も残していきたいですね。
文責:ゆう
来週の全島エイサーという名のビアフェスタに心躍らずにはいられないユウです。
今回は獲れたてほやほやのレポートをお送りします♪
つい先日までお盆でしたね~
ご先祖様を
ウンケー(お迎え)してウークイ(お送り)して、
3日間、怒涛の日々を過ごした方もいらっしゃると思います。
しかし!
わたしの地元ではお盆は3日間ではありません。
実質、4日間あるといってもよい。。。
それは、シーサーウークイがあるためです!
今回は、本日8月15日に行われた地元のシーサーウークイについてレポします

このシーサーウークイ
なぜ行われるかを、わたしのおばあちゃんに聞いてみたところ、
ウークイが終わってもあの世に帰れなかった者達を送り返すためにするのだと言ってました。
ではでは、内容に入りますね~♪
今朝、部落内の放送で、
「本日午後4時30分よりシーサーウークイを行います」
との連絡が。
それに間に合わせ、仕事を終えてきたにも関わらず、
開始は5時過ぎ!!ww
暑いし、仕方ない!!と思いながら、道に出てシーサーを待ちます。
シーサーは部落の4か所、部落と隣の部落の境目ごとに立ち止まってなにやら、
霊を追い払うような動作をします。
わたしの家の近くに来るのは、その3番目くらい。
暑さに耐えつつ、待っていると…
来た!
来た!!
シーサーさんの登場です。
部落内を廻り、次は拝所を廻ります。
その途中で、シーサーさんは突然走りだす時があります。
こっちではちっちゃい子を泣かせ
あっちでは小学生を威嚇!!
ちっちゃい時はこれが怖くもあり、スリル満点の遊びでもありました

そんなこんなで、部落内にある拝所に到着
シーサーさんともどもウートートーします。
その後は棒術が奉納されます。
おじさま方のドラのリズムに合わせて
中学生は初々しく
青年会は勇ましく演武します。
そしてそれを観るシーサーさん
みんな仲良しです。
続いて拝所2か所めへ移動
ここでもみんなとウートートーです。
そしてシーサーさんは公民館へ帰って行くのでした。
でもちょっとだけ寄り道
太鼓のリズムに合わせて躍る姿は可愛らしいです

気づけば
周りの人は皆笑顔。
そんな行事を今後も残していきたいですね。
文責:ゆう
2011年08月07日
サキタリ洞 発掘現場説明会
皆さん、こんにちは。
今回の台風は長く沖縄に居続けましたね。
明日からの仕事を考えると少々気が滅入ります。
どうも、Takaです。
家の台風の片づけを午前中である程度終わらせて、午後から南部へ行ってきました。
目的は県立博物館・美術館主催のサキタリ洞の発掘現場見学会に参加するため。
サキタリ洞は玉泉洞の向かいにある「ガンガラーの谷」のケーブカフェの洞窟です。
調査の詳しい内容は金曜日(8月5日)の新聞記事(沖縄タイムス・琉球新報)を参照してください。
私が気になったのは、縄文前期の条痕文土器と縄文中期の面縄前庭式と思われる土器が出土していることです。
これらの土器は後の時代のものと比べると出土数が少ないので、今後の調査で上記の土器とどういったものが一緒に出てくるかが気になるところです。
今年の調査は今日で終わり。
調査期間が台風の影響で二日半ほど減ってしまったそうです。
県博の皆様、大変お疲れ様でした。

↑現場説明会の様子

↑調査区の一つ。奥の調査坑の黒い層が1万9千年前の層だそうです(写真が悪くてすみません)。
文責:Taka
今回の台風は長く沖縄に居続けましたね。
明日からの仕事を考えると少々気が滅入ります。
どうも、Takaです。
家の台風の片づけを午前中である程度終わらせて、午後から南部へ行ってきました。
目的は県立博物館・美術館主催のサキタリ洞の発掘現場見学会に参加するため。
サキタリ洞は玉泉洞の向かいにある「ガンガラーの谷」のケーブカフェの洞窟です。
調査の詳しい内容は金曜日(8月5日)の新聞記事(沖縄タイムス・琉球新報)を参照してください。
私が気になったのは、縄文前期の条痕文土器と縄文中期の面縄前庭式と思われる土器が出土していることです。
これらの土器は後の時代のものと比べると出土数が少ないので、今後の調査で上記の土器とどういったものが一緒に出てくるかが気になるところです。
今年の調査は今日で終わり。
調査期間が台風の影響で二日半ほど減ってしまったそうです。
県博の皆様、大変お疲れ様でした。
↑現場説明会の様子
↑調査区の一つ。奥の調査坑の黒い層が1万9千年前の層だそうです(写真が悪くてすみません)。
文責:Taka
2011年08月05日
最近のお気に入りお菓子☆
更新が滞ってしまいすみません(;^_^A
今日はすごい台風ですねー(☆o☆)
ムイファー(すもも)ちゃんはかわいい名前で強烈です。
さてさて、常会の報告もたまっているのですが、
今日はakiが最近はまってるお菓子を紹介したいと思います☆
それがこれ!!!

阿麻和利伝説!!!
阿麻和利さんと言えば、うるま市にある世界遺産、勝連グスクの城主だった方ですね。
最近は平田さんの「肝高の阿麻和利」で一大スターになってるのでご存知の方も多いはず。
そんな地元の有名人の名前がついてる「阿麻和利伝説」ですが、
中には、伊計島名産の黄金芋がたっぷり入ってるんです!!!
このお菓子に出会うまで私は黄金芋の存在を知らなかったのですが、
めちゃくちゃ甘くて美味しいですよ!(#>∪<#)
このお菓子、私の職場で大人気♪♪♪
女性陣は絶対はまると思います☆
うるま市名菓の「阿麻和利伝説」☆
私は中部病院隣のトミーズで買いました♪
そして、阿麻和利伝説の隣には、
モズクとフルーツが入ったパウンドケーキ「モズフル」と、
イカスミケーキが並べられております(>艸<*)
イカスミケーキは見た目はダークチョコレートケーキです(。-∀-)♪
文責:aki
今日はすごい台風ですねー(☆o☆)
ムイファー(すもも)ちゃんはかわいい名前で強烈です。
さてさて、常会の報告もたまっているのですが、
今日はakiが最近はまってるお菓子を紹介したいと思います☆
それがこれ!!!

阿麻和利伝説!!!
阿麻和利さんと言えば、うるま市にある世界遺産、勝連グスクの城主だった方ですね。
最近は平田さんの「肝高の阿麻和利」で一大スターになってるのでご存知の方も多いはず。
そんな地元の有名人の名前がついてる「阿麻和利伝説」ですが、
中には、伊計島名産の黄金芋がたっぷり入ってるんです!!!
このお菓子に出会うまで私は黄金芋の存在を知らなかったのですが、
めちゃくちゃ甘くて美味しいですよ!(#>∪<#)
このお菓子、私の職場で大人気♪♪♪
女性陣は絶対はまると思います☆
うるま市名菓の「阿麻和利伝説」☆
私は中部病院隣のトミーズで買いました♪
そして、阿麻和利伝説の隣には、
モズクとフルーツが入ったパウンドケーキ「モズフル」と、
イカスミケーキが並べられております(>艸<*)
イカスミケーキは見た目はダークチョコレートケーキです(。-∀-)♪
文責:aki



