2009年11月05日

甲子園の土

連続で投稿させてもらいます(笑)
私事なのですが、スポーツの中で野球が一番好きなんですよね、部活はやっていなかったんですが(笑)
甲子園で沖縄代表が出るとしたら、絶対応援するというか、県民なら当たり前ですけどねピカピカ
最近も嘉手納高校が九州大会で優勝して、全国選抜大会行きを確定させたという喜ばしい記事がありましたね☆
その甲子園で球児たちがやることは、甲子園の土をもちかえること。
これは普通にやることになっていますが、初めてしたのは沖縄の首里高校だったのは有名ですよね☆
去年の琉球新報から抜粋したのですが、ここに沖縄の復帰以前の苦悩がみえますよね。

半世紀ぶりの甲子園 仲宗根さん「土持ち帰れる」
2008年8月2日
半世紀ぶりに甲子園のグラウンドでキャッチボールする仲宗根弘さん=2日午前、兵庫県西宮市の阪神甲子園球場
 1958年の第40回全国高校野球選手権記念大会で県代表として初めて出場した首里高野球部主将の仲宗根弘さん(68)が2日、高校野球ファンの印象に残る「甲子園レジェンズ」として、阪神甲子園球場で、元西鉄ライオンズ(現西武)の中西太さん(高松一)とキャッチボールを行い、50年ぶりに甲子園の土を自らが用意した袋に詰めた。
 出場当時の首里高のユニホームで、半世紀ぶりに甲子園に戻った仲宗根さんは「当時と同じように緊張した。思い出の甲子園球場に2度も立てるとは思わなかった」と話し「今回、50年前に持ち帰れなかった甲子園の土を持ち帰ることができた」と喜んだ。
 米軍の統治下だった当時、首里高は20校出場の地区大会を勝ち抜き、甲子園の切符を手に入れた。船と汽車を乗り継ぎ、3日かけて甲子園に行った。
 仲宗根さんは第40回記念大会開会式で選手宣誓もした。初戦は敦賀高(福井)と対戦し、0―3で敗れたが、スタンドからは「また来いよ」という声が聞こえたという。
 甲子園の土を持ち帰ったが、植物検疫法のため、那覇港で捨てられた。しかし今回、仲宗根さんは「持って帰れるかもしれない」と、ポケットに袋を用意。キャッチボール終了後、「手で一握りだけ、袋に詰めた」と明かした。
 高校卒業後、肩の故障で野球はやめていたが、「甲子園レジェンズ」に選ばれてからは長女とキャッチボールを行い、本番に備えてきた。
 キャッチボールを終え、仲宗根さんは「当時と比べ技術の差はなくなった。浦添商には勝ち進んでほしい」と期待を寄せた。

こういう歴史があるといことも知りながら、あの甲子園の土を持ち帰るということの意味を考えさせられますよね☆
こういった意味があるということもみんなにも知ってもらいたいですねおすまし

文責:直


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Posted by シマミグイ at 01:10│Comments(0)シマミグイ
 
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