2008年12月10日
鑑賞ポイント2
こんにちは
最近は少し忙しくて、間隔があいてしまいました。
すいません
今回は沖縄県立博物館・美術館の「甦る琉球王国の輝き」展に関する小ネタです。
期間中いろいろ紹介する予定でしたが、もう残り11日になってしまいました・・・。
ちょこちょこ展示が変わっていたり、新しいキャプションが増えたりと、
変化があるので、是非見てみてください
さて、展示の半ばごろに、「琉球國都圖」というのがあります。
(「圖」は「図」の旧漢字です)
これは冊封使の周煌(しゅうこう)が帰国後に著した『琉球國志畧』に関連する絵図です。
(「畧」は「略」の旧漢字です)
彼は1756年に正使の全魁(ぜんかい)と共に、副使として来琉します。
帰国後に著したのは、いわゆる「琉球レポート」です。
この絵図は、首里・那覇を中心にした鳥瞰図で、沖縄本島を描いており
各間切の名も明記されていています。
とても線が細くて「よくこんな細かい絵が描けるなぁ」と関心してしまいました。
さて、この絵図から見れる面白い点は、
高嶺間切の横に「南山」の名が記されていることです
少し前の南山シンポジウムでは、はたして南山王都がどこにあったのか
議論したばっかりでした。
少なくとも周煌が来琉した1756年当時の琉球の歴史認識では
南山王都は高嶺に存在していたということになっていたということです
が、実際は良くわかりません。
1756年当時と言っても、三山に分かれていたころから300年以上も経ってるわけですからね
あとは、考古学に頼るとします
文責:saku
最近は少し忙しくて、間隔があいてしまいました。
すいません
今回は沖縄県立博物館・美術館の「甦る琉球王国の輝き」展に関する小ネタです。
期間中いろいろ紹介する予定でしたが、もう残り11日になってしまいました・・・。
ちょこちょこ展示が変わっていたり、新しいキャプションが増えたりと、
変化があるので、是非見てみてください
さて、展示の半ばごろに、「琉球國都圖」というのがあります。
(「圖」は「図」の旧漢字です)
これは冊封使の周煌(しゅうこう)が帰国後に著した『琉球國志畧』に関連する絵図です。
(「畧」は「略」の旧漢字です)
彼は1756年に正使の全魁(ぜんかい)と共に、副使として来琉します。
帰国後に著したのは、いわゆる「琉球レポート」です。
この絵図は、首里・那覇を中心にした鳥瞰図で、沖縄本島を描いており
各間切の名も明記されていています。
とても線が細くて「よくこんな細かい絵が描けるなぁ」と関心してしまいました。
さて、この絵図から見れる面白い点は、
高嶺間切の横に「南山」の名が記されていることです
少し前の南山シンポジウムでは、はたして南山王都がどこにあったのか
議論したばっかりでした。
少なくとも周煌が来琉した1756年当時の琉球の歴史認識では
南山王都は高嶺に存在していたということになっていたということです
が、実際は良くわかりません。
1756年当時と言っても、三山に分かれていたころから300年以上も経ってるわけですからね
あとは、考古学に頼るとします
文責:saku
Posted by シマミグイ at 14:05│Comments(0)
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