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2009年05月18日

勝組・負組

かなり久々に2回目の投稿

みなさん 『勝組と負組』という言葉よく聞きませんか??

人生の勝ち組、そして負け組。

この言葉自分的には、大嫌いな言葉なんですがガ-ン
で、紹介したいの現在使われているニュアンスとは若干違う話です。

(以下沖縄大百科より抜粋)
勝組・負組・・・第二次大戦による日本の敗戦をめぐって、南米の日本人の間で発生した事件。1945年(昭和20)年8月15日、日本は降伏したが、南米の日系移民の一部には敗戦を信じない者(勝組)と敗戦を認める者(負組)とに分裂し、さまざまな事件を起こした。
まずブラジルに端を発した〈勝組・負組事件〉は、臣道連盟と称する過激な勝組テロ団が負組を殺害し、官憲におわれてボリビアに逃亡したため、南米各地に飛び火した。
ボリビアに逃げたの臣道連盟の阿部謙三と鳥越武の二人。戦勝国日本に忠誠を誓わせるという触れ込みであったが、実際には金目当ての詐欺師で、ラパスで2万ペソをだまし取って逮捕されている。その後二人は脱走してアンデス山脈を越えてペルーに密入国。ペルーでも勝組の愛国同志会とともに各地で集会を開いたが、ワラルのエスキベル耕地内の邦人小学校で集会中に官憲にふみこまれて約30人の勝組とともに逮捕された。同年、9月末、二人は不法入国、治安紊乱の罪によって国外追放されたが、その後共同連盟・皇道連盟・大和民族連盟など創設されて活動は活発化した。そのうち共同連盟は65年ごろまで続き日本の勝利を固く信じていた。以後歳月を経るにつれて、日本の敗戦を認める者が増え、いつの間にか消滅した。同事件は、日本で徹底した軍国主義教育を受け、(神州不滅)を信じ込まされた移民の多くが、敗戦の知らせを敵国の謀略と解していたことに大きく起因する。沖縄県出身者の多くが勝組であったとされていることもあって、沖縄において天皇制問題とあわせて大きな論議の対象となった。(照屋聡子)


この事件、教育の恐ろしさを語ってるように感じますよね汗
しかも沖縄県出身者は、勝組が多い事実。人間は、自分の目で見ないとはっきりは理解できないけど、ここまで頑なに信じるのは、軍国主義教育が沖縄にすごい根付いていたことを物語ってるように感じますガ-ン


文責:直


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Posted by シマミグイ at 01:49│Comments(0)日常
 
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