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2010年04月28日

運玉義留と幸地殿内

お久ぶりです。sakuです。

お家に某タイムス社の沖縄の昔ばなしカレンダーがかけられているので
毎日、歯みがくときとかにカレンダーの昔ばなしを読んだりしています。

で、今月号の民話は「運玉義留(ウンタマギルー)」



今さら説明をする必要もないと思いますが、
運玉義留とは首里の幸地殿内(コーチドゥンチ)に奉公に来ていた運玉義留が
幸地殿内の主人に「私の身分ではどれくらい偉くなれますか」と聞いたら
「お前たちの身分ではどんなに頑張っても地頭代(ジトゥデー)までだ」と言われ
「それなら盗人になったほうがマシだ」と言って義賊なり、貧しい人を助けたというストーリーです。


さて、この運玉義留のお話。
気になる点がいくつか。

まず、パッと見は、悪代官風の幸地殿内の主人が運玉義留をバカにして
「お前の身分じゃあせいぜい地頭代・・・」と言ってるイメージですが、

地頭代でも相当すごいですからね(笑

なんたって地方の間切行政のトップですから。
運玉義留は幸地殿内に奉公に来たということは西原間切の人間なので、
西原間切のトップ、つまり今の西原町のトップです。
今風に例えたら西原町長、いや当時の琉球国は独立国なので、西原県知事くらいのポストです。

首里・那覇にいる下級士族より、地方にいる間切行政の主要ポストに就いている百姓のほうが
よっぽど金持ってましたからね(笑

つまり「県知事までしかなれないなら盗人になったほうがマシだ」ということです。
運玉義留は相当な野心家だったんですねー。


ちなみに、幸地殿内の主人は「お前たちの身分ではどんなに頑張っても地頭代までだ」と言っていますが、
あげ足を取るならば、百姓である運玉義留も功績を立ててれば地方百姓→町百姓→新参士族というコースも考えられます。

まぁー相当な功績を上げないと一代では難しそうなので、普通なら地頭代までです。
でも運玉義留くらいの野心家だったら、功績をあげて士族になるのも夢ではなさそうですけどね。

いや、地頭代まで昇進できるのもすごいけど。


文責:saku



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Posted by シマミグイ at 01:05│Comments(0)日常
 
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