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2012年01月26日

嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆

旧正月あけましておめでとうございます!
更新も全然せずすみません・・・。
近いうちに「ブログ書いて!」とメンバーを叱咤激励しようと思います。

さて、野暮用にて石川まで行く機会がありましたので、
この機会に石川の文化財を見に行こう!と思い立って地図を開き、
嘉手苅のバス停の前にある「嘉手苅観音堂」という表記に惹かれ、
「道沿いだしこれなら迷わないだろう」と目的地を定め、
職場の先輩と行ってきました♪嘉手苅観音堂☆

ジャン!

嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆

きれいなお堂です。説明板によると、
現在の和歌山県から来た日秀上人というお坊さんが伊波按司に勧めて建立されたと伝わっているそうです。
火災が原因で今の場所に移転したと書かれていました。

お堂の後ろにも何かありそうだわと感じ、ぐるっとまわってみると拝所を見つけました。

それがこちら下

嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆

香炉が3箇所に置かれていて、その中の一つには地頭火ヌ神と側に書かれていました。


続いて、伊波ヌール墓を捜しに行きました。

しかし場所が曖昧で、よくわからなかったので、

嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆


あのこんもりとした場所が怪しいなあと思い、接近を試みます。

さとうきびの間を抜けていくと・・・、そこには・・・。

















嘉手苅観音堂と嘉手苅井☆

井(カー)がありました。

むむむ、当ては外れましたが、これも何かの縁だと思い、
伊波ヌール墓を次回のお楽しみにとっっておいて、石川から帰りました。


そして、『石川市史』(伊波信光、昭和63年発行)で事後学習。
『石川市史』の618-624ページに嘉手苅観音堂の細かい記述があります。
・「現在のように拝殿が石積みの上に作られたのは大正8年」(622ページ)
・「戦前の観音堂は直接戦禍は受けなかったが、戦争中石川に集まっていた避難民の薪炭材料にするため取り壊されていたのを1949年2月再建したものである。」(同上)
・「御嶽と観音堂関係については、あまりはっきりしていないのが実情である。」(624ページ)


だそうです!

そして、伊波ヌール墓を探しているときにたどり着いた井は、
『石川市史』によると「嘉手苅御拝領井(嘉手苅井)」(624ページ)でした。

この井泉は屋号西山田の祖父が王様から賜った井であると言われている。この人は廃藩置県前まで王府勤め(役職不明)をしていたが、明治12年廃藩置県で役職を解かれ家に帰された時、水に困っていることを聞かれた王が特別の思し召しで造らせた井泉であるとのことである。さればこの井泉の築造の時はわざわざ首里から多くの専門石大工が来て造ったとのことである。(同上)


へぇ~面白いな~電球井も御拝領ってあるのかぁと思いました。
他にもこういう伝承が残っている井はあるんですかねぇ~???

そんなこんなな石川散策☆
伊波ヌール墓はまた次回にトライしようと思います!




文責:aki

さて、冒頭で書いた、「野暮用」ですが。
実は石川行きのメインの目的でした!
それは現在放送されているドラマ「運命の人」のロケ現場の見学です!

モックン超かっこよかったです~!!ラブ
そしてエキストラの人数が足りなかったみたいで、見学者も急遽エキストラをすることに!
私も入っちゃいました~☆放送日が楽しみです!


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Posted by シマミグイ at 19:22│Comments(0)シマミグイ
 
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