2011年01月13日
かなり前の記事 沖永良部 神野貝塚
※この記事は昨年の八月に沖永良部島へ行った際の記事です(2010年8月20日の記事の続き)。 あしからず。
与論島の次が沖永良部島になります。
到着のときの写真は写していないので、写真はナシ・・・
ちなみに今回の沖永良部渡航の目的は、奄美考古学会への参加です。
同行したのは、私の後輩(卒業生と現役大学生)の二人です。
レンタカーを借りて、宿に荷物を置いて、少し落ち着いた後、島内の遺跡巡りへ。
まず向かった先は「神野貝塚」です。


神野貝塚は昭和57、58年に沖縄国際大学の考古学研究室によって調査が行われた遺跡。
縄文時代の前期から後期に位置づけられる神野A~E式の標識遺跡です。
※注
神野A式・B式→縄文前期
神野C式(現 面縄前庭Ⅲ式)→縄文中期
神野D式・E式→縄文後期前半
文責:Taka
与論島の次が沖永良部島になります。
到着のときの写真は写していないので、写真はナシ・・・
ちなみに今回の沖永良部渡航の目的は、奄美考古学会への参加です。
同行したのは、私の後輩(卒業生と現役大学生)の二人です。
レンタカーを借りて、宿に荷物を置いて、少し落ち着いた後、島内の遺跡巡りへ。
まず向かった先は「神野貝塚」です。
神野貝塚は昭和57、58年に沖縄国際大学の考古学研究室によって調査が行われた遺跡。
縄文時代の前期から後期に位置づけられる神野A~E式の標識遺跡です。
※注
神野A式・B式→縄文前期
神野C式(現 面縄前庭Ⅲ式)→縄文中期
神野D式・E式→縄文後期前半
文責:Taka
Posted by シマミグイ at 22:37│Comments(0)
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